お笑いコンビ、オードリーの若林正恭さんの父親は、実はすでに死去されています。
父親が亡くなった当時、若林正恭さんはとてもショックを受け、お笑いができなくなるまでに落ち込んだといいます。
オードリー若林正恭さんの父親が亡くなる前の、若林正恭さんとのエピソードや、父親の驚きの職業まで関連情報を一挙まとめました!
オードリー若林正恭と父親の死去する前の話が感動的だった!

オードリー若林正恭さんはの父親は、2016年の4月に死去されました。
実は、オードリーの若林さんと父親は、2008年の年末ごろまで絶縁状態にあったといいます。
若林正恭さんと父親がなぜ絶縁状態にあったのかというと、その理由は・・・「若林さんが売れないお笑い芸人をいつまでも続け、なかなか定職につかずにいた」ことが原因なのだそう。
オードリー若林正恭は実家を出る選択をした
その頃、まだ実家で両親と一緒に暮らしていた若林さんでしたが、父親から「芸人を辞めて定職につくか、家を出て芸人を続けるか」選択を迫られたといいます。
その時に若林さんが選んだのは、「家を出てお笑い芸人を続けること」でした。
オードリー若林正恭のM1優勝で父親に心境の変化が
実家を出て、お笑い芸人の道を続けていった、若林さん。
2008年末に行われた「M-1グランプリ」で準決勝にまで進出。
この時の放送を実家で見ていた、若林さんの父親が「不思議なものを感じた」というエピソードがあります。
どんなものかというと・・・この年の「M-1グランプリ」でのオードリーのエントリーナンバーは「4431」でした。
若林さんの父親は阪神タイガースの大ファンだそうで、阪神タイガースの選手「ランディ・バース選手の背番号41」と、「掛布雅之選手の背番号31」を合わせたものだと思い込み、テレビの中に写るオードリーの2人を見て、感動すら覚えたといいます。
この頃から、少しづつ若林さんの父親の中で、お笑いに対する気持ちに変化が出てきたのでしょう。
2009年に、若林さんが久しぶりに実家に帰省した際に、若林さんとお父さんは和解。
2年ぶりの帰省となったこの日の夜、ずっと絶縁状態にあった若林さん父親は長い話をしました。
その後は、父親との仲も順調に続き、若林さんもお笑い芸人としてどんどん活躍の場を広げていったのです。
オードリー若林正恭の父親が体調を崩す
ところが、2015年前後から、若林さんの父親は体調を崩し、入退院を繰り返すようになってしまいます。
芸人としての仕事も忙しくなっていた若林さんでしたが、仕事の合間を縫うように、お父さんのお見舞いに何度も行っていたといいます。
入院中も病室で2人の時間を多く過ごしたという若林さん。
家族皆で、父親を励まし支えましたが、悲しいことに2016年の4月、この世を他界される結果となったのです。
オードリー若林正恭と父親の入院中の苦笑いエピソード

若林さんの父親が入院中に起きた「思わず苦笑いしてしまうエピソード」があるといいます。
エピソード①:相方・春日の気まずいシーンを一緒に見る

仕事の合間を縫うようにいっていたお見舞いで、若林さんと父親は病室で一緒にテレビを見たり、本の話をしたりしていたそうです。
その日も一緒にテレビを見ていたという若林さんと父親。
テレビに映っていたのは、同じオードリーの春日が出演していた「動物バーン」という番組。
「春日さんが、ボディビルパンツ1枚になり、その上を犬が歩いていく」というシーンが流れました。
若林さんと父親は、春日さんの股間を犬が踏んで歩いていく様子を、無言で見続けていたといいます。
若林さんの相方が「春日さん」であることは知っているはずですから、きっと病室には、なんともいえない空気が漂っていたんでしょうね(笑)
エピソード②:芸人仲間の本は読んでも息子の本は読まない

また、もう1つの病室での苦笑いエピソードとして、若林さんが語ったのは、「お父さんの読んでいた本」のこと。
ある日お見舞いに行くと、お父さんは同じお笑い芸人中の「又吉直樹」さんが執筆した「火花」を読んでいたといいます。
実は若林さんも、何冊も本を執筆・出版していて、父親が「火花」を読んでいるのを見て、「俺の本読めよ」と心の中で思っていたといいます。
若林さんと父親にしかわからない、いろいろな思いがあったと思いますが、2人で一緒に過ごすその時間こそがとても大切なものだったのだと思います。
その時々には、「苦笑いしてしまう」ようなことも、今となっては若林さんの心に濃く残るいい思い出になっていることに、違いありません。
オードリー若林正恭は父親の死去後「お笑い引退」を考えた

若林さんの父親が2016年4月に死去後、若林さんは「かなりのショックを受けていた」といいます。
父親と絶縁になってまで続けたお笑いについても、周囲には「お笑いが出来なくなる」と弱音を吐くほどだったそう。
また、若林さんが自身のラジオ「オードリーのオールナイトニッポン」の放送で、この時の気持ちの以下のように話していました。
「あと、あれだぜ。どんな偉い人の聞こえのいい言葉も、全然響かなくなるな、親父が死んだら。
“生きている人の言葉だな”って思うもん。
『死んでもねぇもんな、この人』って思うもん、どんないいこと言ってても」
「”芸人は親の死に目に会えない”みたいなこと言うけど、そんな感傷はあまりなかったのよ。」
この時期、若林さんはネタを書くことが一切できなくなってしまいました。
絶縁状態にあった父親と和解し、これからいろんな思い出を一緒に作っていこうと思っていた矢先の出来事だったので、相当なショックを受けて当然ではないでしょうか。
当時、相当なショックで「お笑い用のネタを書くことすらできなくなってしまった」若林さん。
頭の中を「引退」の二文字が何度もよぎったと思われます。
周囲の人も、落ち込む若林さんを一生懸命にサポートし続けました。
その甲斐もあって、時の流れと共に、若林さんは悲しみを乗り越え、またお笑いの仕事に集中できるようにまでなったのです。
きっと亡くなった若林さんの父親も、息子がまた自分の夢を追いかけられるように、空の上から見守っていたのではないでしょうか。
まとめ:オードリー若林正恭は父親の死去を乗り越え引退をしなかった
オードリーというコンビで今やテレビで見ない日はないくらいに活躍する若林さんですが、過去には「父親の死」という悲しい出来事がありました。
絶縁してまで貫いてきた「お笑い芸人」としての夢をかなえ、父親とも和解し、これから先の楽しい日々をいろいろと思い描いていたことでしょう。
深い悲しみを経験しましたが、若林さんは周囲の仲間のサポートもあり、悲しみを乗り越えることができました。
これから先も、テレビを通してたくさんの笑いを提供してくれることを、楽しみにしています!