元大統領夫人でセレブな暮らしぶりといったイメージのデヴィ夫人。
実は学生時代にはとても貧乏だったそう。
- デヴィ夫人の学生時代の貧乏エピソードとは?
- なぜ子供の頃は暮らしが貧しかったのか?
など、デヴィ夫人の貧乏だった暮らしに関する情報を調査し、まとめました。
デヴィ夫人の学生時代は貧乏だった!子供の頃の驚愕エピソードとは?

セレブな暮らしぶりといったイメージが強いデヴィ夫人ですが、実は学生時代にはかなりの貧乏生活を送っていたそうです。
2020年2月4日放送の「踊るさんま御殿!!」に出演した際には、貧乏だった子供の頃のエピソードを語っています。
食事はデヴィ夫人が摘んできた野草だった

いつも家計が火の車だったというデヴィ夫人の家。
食事はデヴィ夫人が摘んできたという野草を、雑炊やおひたしにして食べていたといいます。
今のデヴィ夫人から想像すると考えられないような暮らしですね。
家に迷いこんできた鳩が照り焼きになって出てきた

ある日デヴィ夫人の家に鳩が迷い込んできたのだそう。
家族は大騒ぎになり、しばらく鳩と格闘。
その後静かになったと思ったら、鳩が照り焼きになって出てきたといいます。
鳩の肉は美味しいのでしょうか。
「食べられるものは何でも食べる」というスタンスが生きる強さを感じますね。
カレンダーが買えないので母の内職で季節を知る

デヴィ夫人の貧乏だったころのエピソードとしてあるのが、カレンダーの話。
デヴィ夫人の家は貧乏だったため、カレンダーを買うことができなかったそう。
そのため「母の内職の内容をみて季節を感じていた」といいます。
カーネーションの花を内職で作っている母を見て春を感じ、赤い羽根募金の羽を内職で作る姿を見て秋を感じていたと、後々にデヴィ夫人が語っていました。
生活に本当に必要なものも買うのが厳しい暮らしの中で、カレンダーまでは手が回らなかったのでしょうね。
デヴィ夫人が学生時代に貧しかった理由とは?

デヴィ夫人の家族は、父親と母親、そして弟とデヴィ夫人の4人家族だったそう。
デヴィ夫人の父親は大工の棟梁をしており、人が良すぎることでも有名でした。
お金のない人がいると、父親はいつも工賃を出世払いにしてしまっていたそうです。
その為、デヴィ夫人の家にはいつもお金がなく、常に家計が火の車。
さぞかし、デヴィ夫人のお母さんは大変だったのではないでしょうか。

さらに、デヴィ夫人が高校生位の学生時代には、棟梁をしていた父が体を壊してしまい、仕事ができなくなってしまったそう。
成績がトップクラスで一流大学に進学すると思われていたデヴィ夫人でしたが、家計を助けるために進学を断念。
大手生命保険会社の「千代田生命」に就職することになったそうです。
会社に就職後も、昼休みになると喫茶店で50分だけウェイトレスのアルバイトをし、週末も休まずにまた喫茶店でアルバイトと、大黒柱となって働き続けていたそう。
まさに苦労人なデヴィ夫人。

その後も千代田生命で働きながら、定時制の三田高校に週3日通い、それ以外の日には赤坂のサパークラブで働いていたともいいます。
寝ているときと、勉強しているとき以外はずっと働き続けていたということですね。
当時家族のために働き続けたデヴィ夫人ですが、貧乏だった生活について以下のように語っていました。
「貧乏っていうのは神様のギフトだと思うんですよね。貧乏だと、そこからパワーとかイマジネーションとか、いろんなものが生まれてくるから」
貧しい暮らしをしていても、誰を責めることもなく、前向きにとらえて行動し続けたデヴィ夫人。
本当に素晴らしいですね。
その心持ちがあったからこそ、デヴィ夫人の今の豊かな暮らしがあるのかもしれません。
まとめ:デヴィ夫人の学生時代は貧乏!子供の頃のエピソードと貧しかった理由を調査!
今では何十億という資産を築き、裕福な暮らしをされているデヴィ夫人。
学生時代には、まともに食事をとることもままならないほど、貧乏な暮らしをされていたとは、驚きです。
ですが、どんなに生活が苦しくとも、しょげたりひねくれたりせず、「貧乏は神様からのギフト」と、アイデアと行動力で人生を変えてきたデヴィ夫人には本当感服です。
デヴィ夫人の生きざまを見て、ぜひともその姿勢を見習いたいなと思いました。