お笑い界のレジェンドと呼ぶにふさわしい、志村けんさん。
変顔や爆笑コントで、面白いおじさんのイメージが強いですが、若い頃はかなりのイケメンだったとか。
- 志村けんさんのイケメンすぎる若い頃の画像とは?
- イケメンでモテるのに結婚しない理由とは?
など、志村けんさんのイケメンぶりに関する話題をまとめます。

志村けんの若い頃がイケメン?昔の画像をチェック!
テレビでその姿を見ない日はないほど、長年活躍を続ける志村けんさん。
変なおじさんやバカ殿様などで、面白い顔のイメージが強いですが、実は若い頃はかなりのイケメンだったとか。
志村けんさんの若い頃がどんな姿だったのか、画像で振り返ってみたいと思います。
志村けんさんの若い頃の姿がわかる代表的な画像がこちら。
きりっとした表情をしていると、なかなかイケメンだと思います。
他にもいくつか若い頃の志村けんさんの画像がありました。
目を見開くと、かなりくりっとした印象で可愛らしさもアップ。
当時周囲の女性からは「放っておけないタイプ」として、さぞかしモテていたのではないでしょうか。
志村けんさんは、1972年、22歳の時に井上淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、芸能界にデビュー。
若い頃の志村けんさんは、確かにイケメンですし、可愛らしさもありますね。
当時の芸名は、現在とは表記が少し違い「志村健」というものでした。
志村けんは若い頃沢田研二似のイケメンだった?

引用:Twitter
志村けんさんは若い頃、「沢田研二さんに似ている」とも言われていたこともあります。
実は志村けんさんがドリフターズへ加入したばかりの1970年代には、「8時だよ!全員集合!」「ドリフの大爆笑」などの番組で、沢田研二さんとよく共演していました。
2人は同じ事務所に所属しているということもあり、志村けんさんは、沢田研二さんのコンサートの前座などもつとめたりしていたそう。
変顔などをしなければ、確かに俳優さんといっても納得してしまうくらいには、とてもいい顔立ちをされているのではないでしょうか。
デビューするまでの時代にも、さまざまな伝説的エピソードを持っている志村けんさん。
長い下積みを経てデビューできるまで、どんなことがあったのかについても触れてみたいと思います。
志村けんの若い頃・デビューするまでのエピソード
志村けんさんが現在のように芸人さんとしてテレビで活躍できるようになるまでには、かなりの努力があったと言われています。
志村けんさんが生まれ育った家は、元々厳格な家庭で、父親をはじめ兄たちも皆公務員になるという、お笑いからは程遠い家だったといいます。
学生時代の志村けんさんは、そんな家庭の重苦しい雰囲気が嫌だったと、後々に語っています。
ただ、テレビで唯一「お笑い番組」や「漫才」を見ているときだけは、厳格だった父も声を出して笑っていて、嫌な日常を忘れることができたのだそう。
そんな家庭環境から、お笑いに強い憧れを抱いた、志村けんさん。
中学生になると「本格的にお笑いの仕事につこう」と決心したといいます。
その頃から、学校の文化祭などでは、コントやバンド演奏などを披露するようになっていきました。
志村けんが若い頃お笑い芸人になるためにしたことは?
志村けんさんがお笑い芸人を目指して本格的に動き出したのは、1986年の2月、高校3年生の卒業間近でした。
突然いかりや長介さんの自宅におしかけ、ドリフターズに入るべく弟子入りを志願したといいます。
実は、その前の高校2年生の時にも、当時「喜劇俳優」として名を知られていた「由利徹さん」に弟子入りにいったが、断られたというエピソードも持っています。
いかりや長介さんの自宅前で、雪が降る中12時間も待ち続けた志村けんさん。
ようやく帰宅したいかりや長介さんに弟子入りを志願するも、門前払いの扱いだったそう。
ところが、志村けんさんはそこで諦めることはせず、何度も食い下がり、いかりや長介さんにその根性を買われる結果に。
いかりや長介さんは、「バンドボーイが辞めてメンバーに欠員が出たら」という条件で仮採用をしたといいます。
雪の日の志願から一週間後、後楽園ホールに呼び出された志村けんさん。
その場で正式に採用を告げられます。
「じゃぁ、(高校)を卒業したら来ます!」というと、「バーカ、明日から行くんだよ!青森に!」と言われ、翌日からすぐに青森巡業へ同行など、活動が始まったそう。
まだ高校を卒業していなかった志村けんさんでしたが、突然あわただしく下積み生活が始まり、卒業式は午前中だけ暇をもらい出席すると、すぐに仕事に戻ったといいます。
自分で思い描いた人生を歩むために、とにかく行動し続けたからこそ、今の志村けんさんがあるのだと思うと感慨深いものがありますね。
志村けんは若い頃加藤茶の付き人だった
いかりや長介さんに懇願し、ようやく手にしたドリフターズへの切符。
今でこそドリフターズといえば、志村けんさんと加藤茶さんの2本柱なイメージがありますが、実は、下積みをはじめた志村けんさんは、「加藤茶さんの付き人だった」といいます。
付き人として1年余り生活するも、辛かったのか脱走。
しばらくはバーテンダーなどをして暮らしていたといいます。
心を入れ替えまた戻ってきた際には、いかりや長介さんの元に行きづらく、加藤茶さんに口添えしてもらったそう。
すると、いかりや長介さんは志村けんさんを責めるどころか・・・
「二度も弟子入りする奴は、よくよく好きなんだろう」
と、いい出戻りを許可。
その後はまた加藤茶さんの付き人兼居候として過ごすことになったといいます。
志村けんは一度デビューするも相方に恵まれず再び付き人へ
先にも少し触れましたが、志村けんさんは、1986年に井上淳さんという方と「マックボンボン」というコンビを結成しデビュー。
体を張った芸でレギュラー番組を持つというところまで進むも、知名度があがらず番組はすぐに打ち切りに。
その後相方だった井上淳さんは失踪。
新しく、自衛隊出身の福田正夫さんという方を相方にするも、元々芸能界志望ではないということで、結局コンビは自然消滅になってしまったといいます。
志村けんは若い頃の長い下積みを経てようやくドリフターズへ加入
長い下積みを経て、志村けんさんは、1973年の12月に「メンバー見習い」という扱いで、ドリフターズへの加入が認められます。
この時、志村けんさんは24歳、芸名を「志村健→志村けん」へと改名しました。
その翌年の1974年3月31日に、元々ドリフターズへいた荒井注さんが脱退したことにより、翌日の4月1日から、志村けんさんが正式なメンバーへ昇進。
こうして、高校生で志願してから6~7年の時を経て、ようやく志村けんさんは夢をつかんだのです。
志村けんの若い頃はイケメンでモテるのに結婚しなかった理由とは?
志村けんさんは若い頃からイケメンだったこともあり、かなり女性にモテていたといいます。
志村けんさん自身も女性が好きなのは、コントや番組を見ていると伝わってきますよね。
これまでに噂のあった女性も、かなりの数で顔ぶれも豪華なのだとか。
そんな志村けんさんが70歳を過ぎてもずっと独身でいるのには、何か理由があるのでしょうか。
これまでに上がっている理由としては・・・
- 熱しやすく冷めやすい。
- 付き合いたい年代が20代~35歳までと限定されている。
- 結婚願望はあるも、そこまでは強くない。
と、いった理由があるのだそう。
志村けんさんがお付き合いをする女性たちは、ほとんどが志村けんさんより1回りも2回りも年下の女性が多いのだそう。
交際する分には、年の差はあまり関係ありませんが、結婚となると相手のご両親もあることですし、なかなか現実が難しい部分もあるのかもしれません。
また、志村けんさんは、過去に・・・
「健康でいて好きなお酒が飲めて、さらにそばに若い女の子がいたら、それで満足。」
と、語っていたこともありました。
若い女性からもモテモテの志村けんさんは、結婚しなくても充分に幸せを感じているから、特に結婚に踏み切る必要はなかったのかもしれませんね。
まとめ:【画像】志村けんの若い頃がイケメン?デビュー秘話からモテるのに結婚しない理由まで
ドリフターズでの爆笑コントから、バラエティー番組の顔まで、長年芸能界で活躍を続けてきた志村けんさん。
変顔で面白い顔なイメージが強いですが、実は若い頃イケメンだったことも分かりました。
持ち前の明るさとユニークさ、そしてルックスの良さから、当時からかなり女性にもモテてきたといいます。
プライベートではかなり紳士という話もあるので、志村けんさんとお付き合いしたい女性は絶えないのかもしれませんね。

