松丸亮吾さんといえば、東大へ一発合格し、ナゾトレブームの火付け役としても知られています。
またメンタリストでYouTuberのDaiGoさんとは兄弟で、さらに2人の兄がいます。
松丸亮吾さんをはじめとする松丸家の4兄弟は、2019年8月に放送された24時間テレビに出演した際に、はじめて「母親の病気や死因、当時のエピソードや母親への後悔」などを語りました。
松丸亮吾さん、DaiGoさんの母親の病気、死因についてのエピソード、そして心に深く残った後悔とは何だったのか、24時間テレビで明かされた真実と共にまとめてみました。
とても心にささる、考えさせられるストーリーがそこにはあったのです。
松丸亮吾の母親は病気で亡くなっていた!
松丸亮吾さんといえば、ナゾトレブームの火付け役、そして現役東大生ながら「謎解きイベントを企画・運営する会社」を立ち上げ社長としてもお仕事をするなど、その才能を発揮しています。
松丸亮吾さんの兄は、以前テレビにも出演していたメンタリストDaiGoさん。
その他にも一般人としてお仕事をする2人の兄がいて、4人兄弟の一番末っ子が松丸亮吾さんというわけです。
実は、松丸亮吾さんのお母さんは、松丸亮吾さんが高校1年生の時、病気のため亡くなってしまっています。
お母さんは「順子さん」といい、いつも子供たちに寄り添う子供想いなお母さんだったといいます。
松丸亮吾の母親の病気・死因は乳がん!
松丸亮吾さんのお母さんの病気は「乳がん」だったといいます。
乳がんの治療のため、摘出手術を受け、一度は治まったかのように見えた、母である順子さんの病気。
ところが、その後「肺に転移」しているのがまた見つかったのです。
がんは思った以上に進行が早く、どんどん順子さんの体を蝕んでいきました。
松丸亮吾と兄の「母親の病気にまつわるエピソード」とは?
松丸亮吾さんやメンタリストDaiGoさんのお母さんである「順子さん」。
松丸亮吾さん4兄弟は、2019年8月に放送された「24時間テレビ」内で、今まで明かされることのなかった、「亡くなってしまった母の順子さんに対するさまざまな想い」や「エピソード」を語りました。
松丸亮吾の父親と母親は病気であることを秘密にしていた
松丸亮吾さんのお母さんは、健診で「乳がん」であることが分かったのだそう。
ですが、自分ががんに侵されたことを、子供たちには伝えることはせず、父親にだけ「乳がんになってしまった」と落胆しながら話したといいます。
それは、ひとえに「子供たちに心配をかけたくない」という思いからだったといいます。
松丸亮吾の母親は子供たちに寄り添う愛情深い母だった
松丸亮吾さんの母は、4兄弟が幼いころからいつも子供たちに寄り添う、とても愛情深いお母さんだったといいます。
子供たちの個性をそれぞれ伸ばそうと、子育てにも工夫をこらしました。
一番末っ子の松丸亮吾さんいついては、松丸さんが弱点を克服できるように・・・と、間違えた問題をノートにまとめ、松丸さん専用の参考書を何冊も作ってくれたといいます。
また、松丸亮吾さんが今謎解きやクイズが好きなのは、母順子さんが「知識を使わずに楽しくとけるクイズ」や「謎解き」をよく出していたからなのだそう。
お母さんとの謎解きの時間がとても好きだったという、松丸亮吾さん。
その内に、自分自身も「謎解き」や「クイズ」を作ってみたいと思うようになり、松丸亮吾さん自身も問題を作ってお母さんに出すと、とても喜んで解いてくれたと語っていました。
松丸亮吾が母親に反抗した時期
自分が乳がんに侵されたことを、子供たちには秘密にしていた、母の順子さん。
時を同じくして、ちょうど高校1年生という反抗期真っただ中にいた、松丸亮吾さん。
毎日ゲームセンターで遊び歩き、学校を抜け出してサボるなど荒れた生活をしていたといいます。
母親の順子さんの病気のことを全く知らなかった松丸亮吾さん。
当時、病魔と闘っていた順子さんに、「別のところで生まれたかった」といったことや、「別にウチに生まれてきたかったわけじゃない」など暴言を吐いて、無視し続けてしまったことを今でも後悔していると語りました。
松丸亮吾がはじめて母の病気を知った時
乳がんの手術もむなしく、肺にガンが転移してしまった、母の順子さん。
ちょうど松丸亮吾さんが、思春期で反抗真っ只中にいる高校一年生のころ、とうとう「食べ物を飲み込みづらくなってしまった」といいます。
父親は病院に呼ばれ、「回復の見込みが厳しいこと」「もっても半年の命」であることを医師から告げられます。
順子さん自身も、自分の病気が回復に向かうことはないと悟り、「自宅療養」をすることを選びました。
自宅療養をしてから2か月あまりがたったころ、松丸亮吾さんは父親に「母親に会いなさい」と言われます。
ところが、その段階でも、母親の順子さんが病気で、回復の見込みがないほどの状態とは気づかず、部屋にいくことはしなかったのだそう。
そして、お母さんが亡くなる1週間ほど前のこと。
父親に「今日が最後かもしれない」と言われ、「何か様子が変だな」と思った松丸亮吾さんはようやく母の部屋に入りました。
すると、そこには医者がきており、やせ細りほとんど息のしていない母が横たわっていたといいます。
その時にはじめて母が病気であったことに気が付いた松丸亮吾さん。
松丸亮吾さんは、何時間も母の横で泣き続け、何度も謝り続けました。
それから1週間たった2012年の4月9日、母の順子さんは、58歳という若さで亡くなりました。
松丸亮吾の兄DaiGoもまた後悔を持っていた
松丸亮吾さんの兄で、一番上の長男でもあったメンタリストのDaiGoさん。
母の順子さんが病魔と闘っているころは、ちょうどテレビにたくさん出演していた時期で、「調子にのっていた」と後悔を語りました。
一緒にテレビ局で働く日テレの社員さんにも暴言を吐いてしまったり、一生懸命お金を稼ぐことをしなかったことを、深く後悔しているといいます。
と、いうのも当時「母の順子さんの治療に必要なお金を稼ぐことができる手段を持っていたのは自分だけだった」から。
もし、自分がお金を一生懸命に稼いでいたならば、「母にはもっと最先端の治療を受けさせてあげることができただろうし、命も助かっていたかもしれない」というのです。
母のガンが再発したことを知らなかったというDaiGoさん。
部屋に抗がん剤の薬があるのを見て、初めて気づき、ショックと共にかなり動揺に襲われたと当時を振り返って語っていました。
母の亡き後、DaiGoさんは、仕事とお金に対しての考え方がガラリと変わりました。
そして母の順子さんに対しては、「人生に影響を与える母親って偉大だなと思います。」と語ったのです。
松丸亮吾の母親が亡き後見つかったもの
松丸亮吾さんの母、順子さんが亡くなった後、見つかったものがありました。
それは、母の順子さんが病魔と闘いながらつけていた「日記」。
そこには、毎日の順子さんの体調や気持ちなどがつづられているほか、子供たちへの想いも一緒に書かれていました。
日記の最後のページをみた言葉をみた松丸亮吾さん。
そこには、「今の目標、もっと頑張れたら亮吾が大学生になるのを見ること」と書いてあったのです。
母が病魔にむしばまれながらも、反抗期の子供たちに無視をされつづけても、決して子供たちのことを憎んだり、うらんだりすることなく、一心に思い続けた順子さん。
どんな時も母の愛情は変わらなかったこと、そしていつも母の愛情に包まれていたことにはじめて気が付いた松丸亮吾さんは、「こんなことをしている場合じゃない、ちゃんと大学いったよということを示したい」と、一念発起。
そこから人が変わったように、必死に勉強をつづけたといいます。
その想いは兄弟にも伝わり、苦手意識を抱えていた理科と化学は長男のDaiGoが、英語は三男の怜吾さんが教えてくれました。
そして、2014年の春、松丸亮吾さんは念願だった「東大工学部」へ一発合格となりました。
亡くなった母、順子さんのお墓にそのことを報告にいった松丸亮吾さん。
ただ、その報告を直接生きている母に伝えられなかったことだけが悔しいと目をにじませながら話しました。
まとめ:松丸亮吾の母親は病気になっても4兄弟を想い続けた
若くして亡くなってしまった、松丸亮吾の母、順子さん。
乳がんから肺への転移という、体が非常に辛い状態にありつつも、子供たちに心配をかけたくないと元気に振る舞い続けました。
がんは回復の見込みをみせず、動けなくなり声が出なくなってしまってもなお、子供たちへの気持ちを日記に記し続けました。
4人の子供たちのことを死ぬ間際まで思い続けたに違いありません。
残された松丸亮吾さんをはじめとする兄弟や、お父さんの5人家族は、亡くなってもまだ自分たちのことを包みこんでくれている母を想いながら、これからもそれぞれの道に活躍していくことでしょう。
松丸家のますますの繁栄と、お母さんである順子さんのご冥福をお祈りいたします。