横山裕さんの生い立ちは壮絶と言われているようです。
両親が離婚し、
今回は、
- 生い立ちが壮絶と言われる横山裕さんの過去とは?
- 母親の死で弟は記憶喪失となってしまったのか?
- 両親の離婚の噂は本当なのか?
など、
ぜひ読み進めてみてください^^
横山裕の生い立ち|幼少期は『両親の離婚』で深い傷
- 名前:横山裕
- 生年月日:1981年5月9日
- 年齢:39歳
ジャニーズ所属で、関ジャニ∞のメンバーや俳優としても活躍して
横山裕さんの生い立ちが壮絶と言われているそうです。
幼少期には両親の離婚で深い傷を負ってしまったという噂もありま
横山裕さんの幼少期について詳しく見ていきましょう。
横山裕の幼少期①:3歳の頃に両親が離婚
1981年5月9日に生まれた横山裕さん。
裕福な家庭で生まれ、大切に育てられていたそうです。
しかし、横山裕さんが3歳になったときには、
離婚の原因は明らかになっていませんが、
NHKスペシャル『令和家族 幸せ探す人たち』では、両親の離婚について
『
と語っています。
今でも覚えている位に印象に残った出来事だったようですね。
なぜ車の中で別れ話をしていたのかが不思議に思いますが、
横山裕の幼少期②:4歳の時には祖父母と暮らす
4歳になった横山裕さんは、祖父母と暮らすこととなります。
シングルマザーとなった母親が、1人で子供を育てることに限界を
仕事でしっかりお金を貯めるためにも、
横山裕さんにとっては、
横山裕の幼少期③:5歳の時に突然義父
5歳のときには母親が再婚し、
突然現れた義理の父親からは「今日からお父さんと呼びなさい」
幼いこともあり、大きな衝撃を受けた横山裕さんは、
本当の父親がいなくなり、
義父は、横山裕さんがお父さんと呼ばないことに対して「
気性の荒い義父だったのでしょうか?
再婚後は、
義父の怒号はよく聞こえていたいたようで、
横山裕の幼少期④:6歳の時に弟ができる
横山裕さんが6歳になると、母親と義父の間に子供が産まれ、横山裕さんにとって初めての弟ができたのだそう。
2年後の横山裕さんが8歳の時にも、母親と義父の間に子供が産まれ、3兄弟となりました。
しかし、
横山裕さんが中学2年生の時には、
ここまで見ても、なかなか壮絶な幼少期を送っていることがわかりま
横山裕の生い立ち|10代は中卒で建設会社に! ジャニーズとの出会い
とても壮絶な幼少期を送っていた横山裕さん。
10代のときには、どのような生活を送っていたのでしょう?
ジャニーズとの出会いがあったと言われています。
詳しく見ていきましょう。
横山裕の10代①:高校へは進学できず
横山裕さんが10代の時の高校進学のタイミングでは、
進学しようと思っていた横山裕さんに対して、
10代になっても虐待のような行為は続いていたそう。
虐待は、横山裕さん1人に対するものだったようで、
自分の血の繋がってない子供ということで、
あまりにもかわいそうすぎる対応ですね。
横山裕の10代②:建設会社で働き始める
高校に進学できなかった横山裕さんは、
この頃には、母親も仕事を掛け持ちしていたようです。
義父は働いていなかったのでしょうか?家計が大変だったことが伺えます。
この頃も義父との折り合いが悪かったようで、横山裕さんにとってはまだまだ辛い時期でした。
横山裕の10代③:ジャニーズとの出会い
建設会社で働きはじめた横山裕さん。
母親が、
母親に言われるがままオーディションを受けた横山裕さん。
残念ながらオーディションには落選してしまいます。
しかし、帰り道に偶然ジャニー喜多川さんに「You、
その事がきっかけで合格となったんだとか。
他のJrは、レッスンまで制服できていたのに対し、
その際には、事務所の人から『そんなんで来んな! 夢売る仕事やねんから』と怒られてしまったんだとか。
それ以降、反省した横山裕さんは、
横山裕の10代④:母親が義父と離婚
ジャニーズ事務所に所属してしばらくだった頃には、
弟達の面倒は誰が見るのか?という話になったそうですが、
弟たちもとても辛そうな様子だったそうです。
この頃には、 ジャニーズとしての活動でしっかり稼げるようにな
建設会社を退社する時には、
「お前が芸能界であかんかったらいつでも戻って来いよ」
と暖かい言葉をかけてもらったことを、今でもずっと覚えているそうです。
横山裕さんの真面目な働きっぷりが評価されていたのもあるかと思いますが、職場の人からもとても可愛がられていたのでしょうね。
横山裕の生い立ち|20代『関ジャニ∞』の活動と母の死
幼少期から、壮絶な経験が続く横山裕さん。
20代の横山裕さんは、
関ジャニ∞の活動を開始したといわれる20代について見ていきま
横山裕の20代①:関ジャニ∞を結成
横山裕さんが21歳の時の、2002年12月18日に関西ジャニ
当初は、表記が違かったようですね。
2004年8月25日には、関西地区限定でCDデビューをし、
9月22日には、全国デビューも果たしました。
横山裕の20代②:29歳の時母親が突然の死去
横山裕さんが29歳のときには、当時50歳だった横山裕さんの母
スーパーに買い物に行った際に倒れてしまい、
母親が亡くなった当日、横山裕さんは関ジャニ∞のツアー中でした
ソロコンサートでのステージ直前に、
横山裕さんを気遣ったスタッフが、コンサートの中止を提案。
しかし、
「仕事に穴を開けられない、母親も同じ意思だと思う」
母親が亡くなったことは、
それを見た横山裕さんは「しんみりするなよ」
1番つらいのは横山裕さんなのに気丈に振る舞ってコンサートを続
ライブのクライマックスでは、「オニギシ」
歌の最中には、
実は、
亡くなった母親に対して祖父への歌を置き換えて歌っていたようで
横山裕さんは、当時の事について
「人生で1番泣いた。後にも先にもあんな辛い事は無い。」
と気丈には振る舞っていたものの、
生前の関ジャニ∞のライブには、
関ジャニ∞のメンバーは
「
メンバー愛も感じられるエピソードですね。
横山裕の20代③:弟の面倒をみると決意
母親が亡くなった際には、横山裕さんの弟たちは21歳と23歳に
元々弟たちが大好きで大切に思っていた横山裕さん。
弟たちに「この2人は自分が面倒を見る」と心に誓ったようです。
亡くなった母親の分も自分が面倒を見なければいけないと思ったの
横山裕の20代④:弟が2年間『記憶喪失』に?
横山裕さんには、
- 6歳下の弟・勤さん
- 8歳下の弟・
充さん
がいます。
実は、
勤さんは、母親が急死してしまった際に落ち込む周囲を気遣い、
しかし、勤さん自身もとてもショックだったため、
横山裕さんは、勤さんが倒れたことを聞き、
「みんなが何か変なこと言うねん。おかんが死んだとか言うねん。
と言っていたといいます。
勤さんは気丈に振舞っていたものの、
記憶喪失になってしまった勤さんは、2年間の間記憶を失っていた
当時の横山裕さんは、家族で過ごす時間を大切にし、
努力の甲斐あって、勤さんの記憶は無事戻ったんだとか。
横山裕さんは仕事で忙しい中、勤さんを支えていたんですね。
お互い大切に思いあっている兄弟という事がわかりますね。
横山裕からみた家族への想い
幼少期から20代まで様々なことを買った横山裕さん。
横山裕さんは家族のことをどのように思っているのでしょうか?
家族への思いについて詳しく見ていきましょう。
横山裕からみた『母親や弟』への想い
横山裕さんは、自信で作詞した『オニギシ』の歌詞に「
この歌詞の通り亡くなってしまった母親に胸をはれるように、
現在会社員をし、結婚もされている弟の勤さん。
勤さんは結婚式で横山裕さんへ
『兄ちゃん、いろいろ怒ってくれてつらかったときもあったけど、
と感謝の気持ちをスピーチし、
休日はだいたい弟と過ごしていたという横山裕さん。
勤さんの結婚の前に横山裕さんはラジオで
「
と語っています。
結婚に対して嬉しい気持ちと、
横山裕からみた『義父』への想い
横山裕さんは、
そんな義父に対してNHKスペシャル『令和家族 幸せ探す人たち
「口にするのも怖い。ずっと避けている。
と未だに恐怖があることを発言されています。
さらに、
「悪くは言いたくない。
と複雑な心境を語っています。
- 「『オカンに謝ってほしい』と思ったことがある。
でもおとんもつらい思いをしているはず。」 - 「俺に謝ったり、ありがとうって言うことで、
おとんは気持ちが楽になるのかなと思って。 謝らさせてあげたほうがいいのかなと思った」
と、向き合うか悩む姿も。
結果的には、『
まとめ:横山裕の生い立ちは辛いものだったが懸命に前向きに生きていた
横山裕さんの壮絶といわれる生い立ちについてまとめさせていただ
両親の離婚から再婚し、義父の虐待など、
大人になってからは母親の死や弟の記憶喪失など、
現在では義父に恐怖心があるものの、
壮絶な体験をしても頑張っている横山裕さんを応援したいですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。







