東京ラブストーリーで大ブレイクした俳優の織田裕二さん。
これまでにも数々のドラマや映画に出演しつづけ、素晴らしい作品を残されています。
- 織田裕二さんの若い頃はどんな様子だったのか?
- 学生時代や芸能界に入るきっかけとは何だったのか?
など、本記事では、織田裕二さんの若い頃についてまとめています。
織田裕二の若い頃はどんな姿?イケメン画像をチェック

50歳を越えてもなお、俳優として活躍し続ける織田裕二さん。
若い頃の姿に「イケメン!」「かっこいい!」の声も聞こえてきますが、以前はどんな姿をしていたのか、昔の画像をチェックしてみたいと思います。







かなり目鼻立ちがはっきりとしていて、どことなく日本人離れした顔立ちをしています。
とてもモテていたのではないでしょうか。
ドラマに立て続けに出演している頃は、「織田裕二さんのファン」といっていた女性が、たくさんいたことを覚えています。
織田裕二の学生時代は?エピソードも調査!

織田裕二さんが学生の頃はどんな風に過ごされたのでしょうか。
織田裕二さんの通っていた学校や当時のエピソードなどをまとめました。
織田裕二の小学校時代

小学生だった織田裕二さんは、桐蔭学園小学校に通っていました。
桐蔭学園は神奈川県の横浜市青葉区にある学校で、小学校から大学まで一貫教育で学べる有名校です。
1974年に入学し、1980年に卒業しています。
- 名称:桐蔭学園小学校
- 住所:神奈川県横浜市青葉区鉄町1614
織田裕二の小学生時代のエピソード

小学生の時の織田裕二さんは、少年野球でリトルリーグや地元のチームに所属。
野球が大好きな少年だったようです。
野球の他には、ラグビーもかじっていたというから、スポーツ万能だったんですね。
この頃の夢は「野球選手か漁師」だったといいます。
織田裕二の中学生時代

織田裕二さんは、桐蔭学園中等教育学校・男子部に、1980年4月に入学。
3年間の中学校生活を送り、1983年の3月に卒業されています。
桐蔭学園中等教育学校・男子部は、偏差値は52~53位の、周囲ではなかなかの難関校と言われる学校です。
この学校の出身者には、「椿鬼奴」さんもいらっしゃいます。
しかし、織田裕二さんと椿鬼奴さんは年齢が4歳差ということで、同時期に通われてはいなさそうです。

- 名称:桐蔭学園中等教育学校・男子部
- 住所:神奈川県横浜市青葉区鉄町1614
場所は、桐蔭学園小学校と同じ敷地のすぐ隣になります。
織田裕二の中学生時代のエピソード

中学生時代の織田裕二さんは、「テニス部」に所属していたようです。
かなりストイックに真面目に頑張っていたようで、高校生になってこのテニスを辞めるときにはかなり思い詰めたというほどに、夢中になって取り組んでいたそう。
大会で優勝した経験などはないようですが、当時はテニスが大好きだったようですね。
織田裕二の高校生時代

織田裕二さんの出身高校は、「桐蔭学園高等学校」です。
中学校も桐蔭学園だったので、そのままエスカレーター式に上がっていったのですね。
偏差値65前後の学力がないと入学できないようですが、エスカレーター式とはいえ、入学されている織田裕二さんは、スポーツだけなく、学業も優秀だったようですね。
1983年に入学し、3年間在学の上、1986年に卒業されています。
- 名称:桐蔭学園高等学校
- 住所:神奈川県横浜市青葉区鉄町1614
場所は、やはり桐蔭学園小学校と同じ敷地のすぐ隣になります。
小学校から高校まで、ずっと同じ場所に通われていた織田裕二さん、かなり思い出のつまった場所となっているのではないでしょうか。
織田裕二の高校時代のエピソード

中学校からずっとテニス部をしていた織田裕二さん。
高校1年生の時に膝を壊してしまい、テニスを断念せざるを得ない状況になったそう。
その時には、かなり思い詰め一時期は自殺まで考えてしまっていたといいます。
と、いうのもテニスをしていた頃は、365日テニスのことを考え、一緒に過ごす仲間もテニス仲間、行きつけのお店もテニスショップと、とにかくテニスづくしの生活。
それが突然、全てなくなってしまったら、どう生きていったらいいのか、思い詰めてしまってもおかしくはないですよね。
当時の織田裕二さんは、「仲間が急に冷たくなった」と感じていたそうですが、実は「そっとしておいてくれていた」ということに後になって気づいたそう。
テニスを辞めた織田裕二さんは、その後・・・
- パチンコ屋に行って落ちてる玉を拾ってパチンコ
- 麻雀
- ビリヤード
などをして、目的のないまま毎日を過ごしていたといいます。

ですがその後、「このままではだめだ」と思い、友人とバンド活動を開始。
バンド名は「Deps」で、織田裕二さんの担当はギター。
高校2年生の時のクリスマスライブで、音楽関係者からスカウトされるという道を手にしました。
織田裕二の大学生時代

高校を卒業した織田裕二さんは、当時流行していた外国の大学の日本校である、「ピッツバーグ大学日本校」に入学。
織田裕二さんがちょうど大学生くらいだった1980年~1990年の頃は、海外の大学がこぞって日本校を設立。
日本にいながら、外国の大学に入れるとかなり大人気だったようですが、無認可で、通っても学位とは認められなかったり、授業料が高額だったりと、なにかと障害があり、徐々に衰退。
織田裕二さんが通っていたという、ピッツバーグ大学の日本校も廃校となっています。
流行りの大学に入学した織田裕二さんでしたが、在学途中で大学を中退しています。
理由は、俳優業に専念するためだったそう。
若い頃の織田裕二さんは、目的を持ったら、一途に突き進む性格をされていたようですね。
織田裕二の大学生時代のエピソード

大学生になった織田裕二さんは、芸能界で俳優としてデビュー。
ちょうど大学生時代にあたるという、1986年~1990年にいたっては、出演したドラマの数が12本に、映画が5本と、かなり引っ張りだこな状況でした。

ドラマで初主演を務めたのは、1989年1月に放送された「十九歳」で村上大介役を演じた時でした。
織田裕二が芸能界に入ったきっかけとは?

大学生の途中から俳優業に専念していた織田裕二さん。
どんな理由で芸能界に入ったのかについても、調べてみました。
最初の出来事は、高校2年生の時に一度だけバンドで行ったクリスマスライブ。
その際に、見に来ていた人の紹介で、現在所属している芸能事務所にスカウトされた織田裕二さんでしたが、「学校がうるさいので」という理由でお断りしていたそう。

その後、進学した大学を中退したのちに、「俳優の道を極めたい」と決意を固め、1987年4月に映画「湘南爆走族」のオーデションに参加。
このオーデション時に、審査員に言われた通り演技をしようと思っている織田裕二さんを、相手役の男性が突き飛ばしてきたといいます。
これを受けた織田裕二さんは思わず本気で「ふざけてんじゃねーぞ」とやり返してしまったそう。
この行動が「迫真の演技」と評価され、8万人のなかから選ばれ、みごとに「湘南爆走族」の準主役を射止めました。
まさかの出来事が、芸能界に入るきっかけになろうとは・・・織田裕二さんも予想していなかったのではないでしょうか。
織田裕二は湘南爆走族の挿入歌も担当
織田裕二さんのデビュー作となった「湘南爆走族」。
この映画で使われる挿入歌「Boom Boom Boom」も担当し、俳優としてデビューすると同時に、歌手としてもデビューとなったそうです。
織田裕二の代表作とは?

大学を中退し、俳優業に専念しはじめた織田裕二さん。
デビュー当時、映画やドラマにかなり引っ張りだこの人気者だったそうですが、代表的な作品はどの作品かも気になるところです。
織田裕二さんを代表する作品は以下の通りとなっています。
織田裕二の代表作1:「東京ラブストーリー」

織田裕二さんの代表作といえば、「東京ラブストーリー」。
鈴木保奈美さんと共演したドラマで、当時織田裕二さんが演じた「カンチ」と、鈴木保奈美さん演じる「赤名リカ」の恋の行方が気になり、このドラマを見るために急いで帰宅する人も続出するほどの大ヒット作に。
東京ラブストーリーは、最高視聴率32.3%を記録し、これに主演していた織田裕二さんもドラマの人気と共に一気に名を広めました。
織田裕二の代表作2:「振り返れば奴がいる」

織田裕二さんと石黒賢さんのW主演で制作されたドラマ、「振り返れば奴がいる」。
天才的なメスさばきの医師を演じる織田裕二さんが、最後に後ろから刺されるシーンはかなり衝撃的で、大きな話題になりました。
織田裕二主演「振り返れば奴がいる」の制作秘話
この作品で一番印象に残るラストシーンとなった、織田裕二さん演じる医師が後ろから刺されて倒れるシーン。
実はこのシーンは元々台本にはないものだったそう。
ドラマの撮影も進み、あと2シーン撮影してクランクアップというところに来た時、突然織田裕二さんがラストシーンについて提案をしたそう。
その提案とは・・・
- こんなに悪い役が生き残っていいの?
- 刺されて死にたい
というものだったようです。
織田裕二さんの申し出を受けて、現場で急遽シナリオを変更。
こうして、ドラマの物真似ができるほど印象的なシーンが出来上がったということです。
ちなみに、このドラマの脚本家だった三谷幸喜さんは、「自分の作ったシナリオが知らないところで変更されたことを面白く思っていなかった」ことを、後々になって語っていたといいます。
織田裕二の代表作3:「踊る大捜査線」

織田裕二さんの代表作として知っている人も多い作品が、「踊る大捜査線」。
織田裕二さんを主演に制作された刑事ドラマで、出演者に深津絵里さんや、柳葉敏郎さん、いかりやチョースケさんなど、実力派俳優が並び、かなりの人気作品となりました。
織田裕二の代表作4:「アマルフィ女神の報酬」

映画「アマルフィ」で、踊る大捜査線とはまた違った雰囲気の役柄で、イタリアに駐在する日本大使館員を演じた織田裕二さん。
ヒロイン役の天海祐希さんとの演技が素晴らしく、物語の世界に引き込まれるような作品でした。
織田裕二さんのその他の主な出演作品
湘南爆走族で俳優デビューを果たした織田裕二さん。
それから現在までにかなりの作品に出演してきました。
1987年

- 桃色学園都市宣言 河田工業高校電気科
- プロゴルファー祈子
- 愛はクロスオーバー
1988年
- 北の海峡
- 涙日記
1989年

- 風雲!江戸の夜明け
- 十九歳
- ママハハ・ブギ
- 邪魔してゴメン!
- あいつがトラブル
- 彼女が水着に着替えたら
- 将軍家光の乱心 激突
1990年

- BEST GUY
- 卒業
- 予備校ブギ
- 世にも奇妙な物語『ロッカー』
1991年

- 東京ラブストーリー
1992年

- あの日の僕を探して
1993年

- 振り返れば奴がいる
1993年
- 素晴らしきかな人生
1994年
- お金がない!
1995年
- 正義は勝つ
1996年
- 真昼の月
織田裕二のプロフィール

織田裕二さんのプロフィールは以下の通りとなっています。
- 名前:織田裕二(本名)
- 生年月日:1967年12月13日
- 年齢:52歳(2020年2月現在)
- 出身地:神奈川県
- 身長:177㎝
- 血液型:A型
- 配偶者:野田舞子
- 所属事務所:BAC CORPORATION
織田裕二さんは神奈川県の出身。
配偶者の野田舞子さんとは、2010年に結婚しました。
まとめ
大学生時代に芸能界入りし、それ以降第一線で活躍してきた織田裕二さん。
数々の素晴らしい作品を残し続けています。
50代となってもドラマや映画に出演し続け、注目を集めて続けています。
織田裕二さんの新しい作品も楽しみですね。