漫画家・土田世紀。
名前の読み方は「つちだせいき」です。
土田世紀さんはどんな人物なのか。
人物像や経歴、発表した作品についてなど、土田世紀さんの人となりをお伝えしていきます。

漫画家『土田世紀』を知る旅へ!
漫画家・土田世紀の経歴


- 名前:土田世紀(つちだせいき)
- 生年月日:1969年3月21日
- 死没:2012年4月24日(享年43歳)
- 出身地:秋田県平鹿郡大森町(現・横手市大森町)
- 職業:漫画家
- 学歴:秋田市立秋田南中学校・秋田県立新屋高等学校 卒業
土田世紀が漫画家になるまでの経歴
漫画家として世に名前を残した土田世紀さん。
さぞ、子どもの頃から漫画が大好きだったのであろうと思いきや、実はそうでもなかったようです。
幼い頃は、姉や友人が買った漫画を借りて読ませてもらう程度で、自ら欲して漫画を買い求めたことはほとんどなかったようです。
しかし「絵を描くこと」は、子どもの頃から得意だったようで、応募した絵画コンクールで「科学技術庁 庁官賞」を受賞した経歴もあるのだとか。
土田世紀さんが、漫画(のようなもの)を描き始めたのは、高校生の頃。
当時は、作品を描いてはクラスメイトに見せてまわっていたといいます。
高校2年になった土田世紀さんは、漫画雑誌『漫画アクション』で行われていた新人賞に、ニューヨークを舞台にした青春ストーリーを応募。
「激励賞」を受賞するという快挙を成し遂げました。
高校3年生にも差し掛かる1986年(昭和61年)17歳の頃、漫画雑誌『モーニング』に、『残暑』という作品を応募。
「ちばてつや賞 一般部門」の入選を獲得しました。



『モーニング』の新人賞は、基本的に年に2回の開催。
漫画家・ちばてつやが選考を務める賞だよ。
同年、別の漫画雑誌『月刊アフタヌーン』で行われていた公募に『未成年』という作品を応募。
「四季賞」を受賞するという快挙も成し遂げました。



『月刊アフタヌーン』の新人賞では、「四季大賞」「審査員特別賞」「四季賞」「準入選」「佳作」の5賞にそれぞれ作品が選ばれるよ。
\デビュー作ともなった『未成年』/


漫画家としてデビューしたあとの土田世紀
高校を卒業した土田世紀さんは、漫画家としての道を歩み始め、大学など上級学校への進学はしなかった模様です。
(学歴としてデータが残されていない)
以降、プロの漫画家として、多数の作品を発表。
これまでに創作してきた作品・代表作は、次項「土田世紀の代表作」でご紹介しています。



ヒット作を次々に生み出している期間は、週に2日ほどしか家に帰れない日もあったのだとか。
2012年4月24日、土田世紀さんが43歳の時、当時住んでいた滋賀県栗東市の自宅で、倒れているところを発見され、そのまま帰らぬ人となったのです。
死因は「肝硬変」と発表されています。


土田世紀さんの人柄をよく知る漫画家の西原理恵子さんによると、土田世紀さんは「アルコールが入ってないと人に会えないような人であった」とのことです。
土田世紀さんは当時結婚されていましたが、籍は入れない事実婚だった為、内縁の妻は喪主を務めなかったとされています。
土田世紀さんが最後に書いた作品が、漫画『かぞく』。
この作品は、発表から30年以上も経った2023年11月に、吉沢亮さん、永瀬正敏さん、小栗旬さん、阿部進之介さんらの主演で、実写映画化されています。


土田世紀さんが、亡くなる直前まで描いていた『夜回り先生』の最新作は、未完のままとなっています。


▶︎映画『かぞく』原作は同名漫画【解説】今すぐ読める所|あらすじ|原作者|感想評価




漫画家・土田世紀の発表作品
土田世紀さんが世に発表してきた作品には、以下のようなものがあります。
- 漫画『未成年』:デビュー作
- 漫画『卒業』
- 漫画『永ちゃん』
- 漫画『タックルBEAT』
- 漫画『高』
- 漫画『俺節』
- 漫画『編集王』
- 漫画『ありゃ馬こりゃ馬』
- 漫画『鯱(しゃち)』
- 漫画『同じ月を見ている』
- 漫画『水の中の月』
- 漫画『月球』
- 漫画『ルート77』
- 漫画『雲いづるところ』
- 漫画『マネーの虎』
- 漫画『ギラギラ』
- 漫画『夜回り先生』
- 漫画『サバス!』
- 漫画『定本俺節』
- 漫画『現金を燃やす会』
- 漫画『かぞく』
上記は、単行本として発売もされている作品で、そのほか単行本化はされていないものの、コミック誌に掲載された作品も多数あります。



見聞きしたことある作品もあるんじゃないかな。
土田世紀の代表作・ベストセラー


土田世紀さんの多数の作品の中で、特に人気を集めた作品、ベストセラーとなった作品は、以下の通りです。
- 漫画『俺節』
- 漫画『同じ月を見ている』
- 漫画『編集王』
- 漫画『ギラギラ』
漫画『俺節』


漫画『俺節』は、漫画雑誌『ビックコミックススピリッツ』で1991年〜1993年に連載されていた作品です。
単行本は全部で9巻、物語は完結していますが、のちに絶版。
作品発表から約20年後の2010年に『定本俺節』として、3巻にまとめられ再出版されました。
2017年には、同作品が舞台化。
演出は福原充則さん、主演は関ジャニ∞の安田章大さんが務めました。
\漫画『俺節』はこんな作品/
青森から無一文で上京した海鹿耕治は、場末の飲屋街に住み着いて演歌歌手を目指す。
恋人テレサ、親友のオキナワ、ライバルの羽田清次らとの出会いを経て、故郷で初のデビューリサイタルを飾るまでを描く芸能漫画。
引用元:マンガペディア


漫画『同じ月を見ている』


漫画『同じ月を見ている』は、漫画雑誌『週刊コミックサンデー』の「1998年25号」〜「2000年2・3号合併号」に掲載されていた作品です。
単行本は全部で7巻、物語は完結しています。
1999年(平成11年)に、『文化庁メディア芸術祭 マンガ部門』で優秀賞を受賞。
2005年には、窪塚洋介さんの主演で実写映画化もされた作品です。
\漫画『同じ月を見ている』はこんな作品/
ドンこと水代元ら3人の幼なじみ。高校時代の放火事件を機に、彼らの人生が狂ってしまうが、ドンが人々との出会いを通じて癒していくさまを描いた青春漫画。
引用元:マンガぺディア


漫画『編集王』


漫画『編集王』は、漫画雑誌『ビックコミックススピリッツ』の「1994年2・3合併号」〜「1997年44号」に掲載されていた作品です。
単行本は全部で16巻、物語は完結しています。
2000年には、ネプチューンの原田泰造さんの主演でドラマ化もされました。
\漫画『編集王』はこんな作品/
青年漫画誌の編集部で働く編集者や漫画家を中心に、元ボクサーの新人編集者桃井環八の目を通して出版業界を描いた熱血ストーリー漫画。
引用元:マンガぺディア
漫画『ギラギラ』


漫画『ギラギラ』は、漫画雑誌『ビックコミックスペリオール』にて2002年〜2004年の間、連載されていた作品です。
この物語には、滝直毅さんという原作者がおり、土田世紀さんは作画を担当しました。
単行本は全部で7巻、物語は完結しています。
2008年には、佐々木蔵之介さん、真矢みきさんらの主演でドラマ化。
また、滝直毅さん、岩田和久さんらの手により、漫画『ギラギラ』の続編として『真・ギラギラ』という作品も作られています。
\漫画『ギラギラ』はこんな作品/
かつて伝説のホストと呼ばれた七瀬公平は、10年ぶりに六本木のホストクラブ・リンクで仕事を再開。それまで妻子のため生命保険会社に勤めていた彼は、ギラギラとした夜の世界に本当の生きがいを見出す。やがて公平は、銀座、池袋、新宿をそれぞれ拠点とするホストクラブ間の争いに巻き込まれていく。
引用元:マンガぺディア
土田世紀の作風


土田世紀さんの作品について語るとき、「泥臭い」という言葉をよく見聞きします。
このことについては、土田世紀さんご本人も触れていて「自分の作品は何を描いても泥臭い」と語っています。
土田世紀さんの作品が「泥臭い」と言われるのは、以下のような理由からです。
- 物語の設定・展開に、時代錯誤的、反トレンド的なものが多いこと。
- 登場人物の多くが、世の中や大勢の組織・グループに反発を見せること。
- 登場人物は感情的で、自身の怒りや悲しみを思うがまま表現するようなキャラクターであること。
- 土田世紀の描く絵は、皺や陰影が非常に細かく、「非常にしつこい」と表現されることがある。
- また同様に絵には重みがあり、時に「演歌のようだ」と比喩されることがある。
土田世紀さんの描く漫画は、時にしつこさを感じさせるようなディテールの細かい絵に、登場人物たちの強い感情や、時代の流行を意識しないストーリーが重なり、「泥臭さ」を感じさせる作風となっているようです。
それは、決して読者から煙たがられるようなものではなく、その反対で、絵と感情の両面から読者の心を「掴んでいく」土田世紀さんにしかできないことでもあるのです。



なんかつい読んじゃうんだよねっていう本あるよね。
漫画家・土田世紀の人物像


土田世紀さんは、43歳という若さでこの世を去ってしまいましたが、生前残したさまざまな作品や言葉は、今現在を生きる人の心に大きな影響をもたらし続けています。
土田世紀さんは、どんな人物だったのか。
人となりが分かるエピソードがいくつも残されていました。
土田世紀が好んだ物
土田世紀さんは、以下のようなものを愛したと言われています。
- 宮沢賢治
- 浜田省吾
- 新沼謙治
- 酒
宮沢賢治
土田世紀さんは、「子ども時代、特に漫画をより好んでいたわけではなかった」という話は前述しましたが、そんな土田世紀さんが少年時代に好んでいたのは、『宮沢賢治』だったそう。
この土田世紀さんの宮沢賢治好きは、作品にも度々影響を与えています。
例えば、漫画『同じ月を見ている』の主人公・水元元は、宮沢賢治をモデルとした人物であることや、宮沢賢治が残した言葉や詩が引用されているといった点です。
浜田省吾
土田世紀さんは、浜田省吾さんの大ファンとしても知られています。
その影響で、漫画『俺節』には、浜田省吾さんをモデルにした浜田山翔という人物を登場させていました。
また1998年〜1999年には、浜田省吾さんのファンクラブ会報の表紙も担当。
大好きなアーティストと関われるお仕事ができて、土田世紀さんもさぞ嬉しかったに違いありません。
新沼謙治
土田世紀さんは、新沼謙治さんのファンとしても知られています。
演歌の世界を描いた『俺節』の主人公・コージは、新沼謙治さんを思わせる人物で、新沼謙治さんの以下のような曲も登場しています。
- おもいで岬
- 嫁に来ないか
- ヘッドライト
- 北の故郷
- 情け川
- 津軽恋女
- さよなら橋
- 渋谷物がたり
また、2010年に発刊された『定本俺節』に掲載したインタビューの中で、新沼謙治さんにCD化して欲しい曲はという質問を受けた土田世紀さん。
『望郷詩集』に収録の「春陽炎」という楽曲や、ライブ盤『新沼謙治みちのく帰行』の中の楽曲をリクエストされていました。



演歌も好きとは、幅広いね!
酒
土田世紀さんが亡くなる原因となった言われている、お酒。
これも、土田世紀さんが好んだ物の1つです。
また、人と会って話すのが苦手なことから、お酒に酔う事で苦手さを誤魔化していたという面もあったのだそう。
土田世紀さんについて語られている、さまざまな感想の中には、「相当な酔っ払いだった」「43歳という若さで肝硬変になる酒量とは相当なものだったに違いない」などの記述がありました。
名作を世に生み出した土田世紀さんが、早くに旅立たれてしまったことは悲しいですが、飲みたいだけのお酒を飲み、好きな事で生計を立て、ご本人としては後悔はされていないかも知れませんね。
憶測でしかありませんが、そう潔く旅立たれたと願いたい気持ちです。



もしかして「リラックマ」も好きだった?(笑)
土田世紀の家族・妻
土田世紀さんは、先の項でも少し触れましたが、内縁の妻と暮らしていたことが分かっています。
お子さんの有無については、全く公表されておらず不明です。
土田世紀さんが、なぜ籍を入れなかったのか、詳しい事情についても公にされていません。
漫画家という不安定な職業なため、大切な人に迷惑をかけたくなかったからなのか、それとも籍を入れて結婚するという形式にとらわれるのが嫌だったのか…。
真相はご本人のみぞ知るという形です。
まとめ
昭和44年、秋田県に生まれた土田世紀さんは、後世にも語り継がれるような作品を多数残し、多くの人に多大な影響を与えた漫画家の1人となりました。
43歳という若さでこの世を去るまでの間、作り続けた作品の数々は、今もなお色褪せる事なく、多くの人に読まれ続けています。
どんどん発展してゆく時代の波を逆光するかのような作風は、古びているように感じるどころか、どこか「新鮮さ」さえ感じさせてくれるから不思議。
これは、作品のひとつひとつに込められた、「人は本気で泣いたり笑ったり出来るし、そうしたいと思っている」という土田世紀さんの哲学による影響だと言えます。
いまいち夢中になれるものがない。
やる気が沸かない。
情熱を傾けられるものが見つからない。
そういう思いを心のどこかで感じ、答えを探しているのなら、ぜひ一度、土田世紀さんの作品を手に取ってみてください。
これからの時間をどう過ごしていくべきか、大きなヒントを得られることと思います。



1つの作品との出会いが人生を変えることもあるよ。